大阪地方裁判所 平成6年(ワ)5768号 判決 1997年3月28日
主文
一 被告八尾市は、原告甲野一郎に対し、金二二万円及びこれに対する平成三年六月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告甲野一郎の被告八尾市に対するその余の請求及び被告乙山松夫に対する請求をいずれも棄却する。
三 原告甲野太郎及び同甲野花子の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告甲野一郎と被告八尾市及び同乙山松夫との間においては、原告甲野一郎に生じた費用の一〇分の一を被告八尾市の負担とし、その余を原告甲野一郎の負担とし、原告甲野太郎及び同甲野花子と被告八尾市及び同乙山松夫との間においては、全部原告甲野太郎及び同甲野花子の負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
一 被告らは、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)に対し、連帯して金一一〇〇万円及びこれに対する平成三年六月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)に対し、連帯して金四二四万九二〇〇円及びこれに対する平成三年六月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告らは、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に対し、連帯して金三三〇万円及びこれに対する平成三年六月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事実関係
本件の事案は、原告一郎が、八尾市立丙川中学校(以下「丙川中学校」又は単に「学校」ということがある。)二年在学中、その担任教師であった被告乙山松夫(以下「被告乙山」という。)から、学校生活上、不当な差別的取扱等を受けた上、被告乙山が原告らの自宅に家庭訪問に訪れた際、原告一郎に対し暴力を振るったため、原告一郎は登校拒否状態となって、その学力が低下し、かねてより希望していた高校に進学することもできなくなったなどとして、原告一郎並びにその両親である原告太郎及び同花子が、被告乙山に対しては不法行為に基づき、被告八尾市に対しては国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ慰藉料等の損害賠償を求めているものである。
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告一郎は、平成三年六月当時、丙川中学校の二年生であり、その二年五組に所属していた。
(二) 原告太郎は原告一郎の父であり、原告花子は原告一郎の母である。
(三) 被告乙山は、平成三年六月当時、丙川中学校において、理科を担当していた教諭であり、かつ、その二年五組の担任でもあった。
(四) 被告八尾市は、公法上の法人であり、国家賠償法上にいう公共団体である。
2 被告乙山の不法行為の経緯
(一) 原告一郎は、平成三年四月、丙川中学校の二年生に進級し、二年五組に所属となったが、その担任の被告乙山は、原告一郎が体調不良を理由に早退を申し出ても、これを認めなかったり、授業中も何かにつけて他の生徒と比べてきつくあたるなど、理由もなく原告一郎をいじめたり差別的な取扱を行ったりした。そのことが原因で、原告一郎は、登校することを嫌がり、同年五月ころから学校を欠席するようになった。
(二) そうしたところ、被告乙山は、同年六月一四日午後七時〇四分ころ、原告らの自宅を訪ねてきた。玄関に応対に出た原告太郎は、被告乙山が原告一郎を訪ねてきたことを知り、自宅二階にいた原告一郎を呼んだ。
そして、被告乙山は、二階から降りてきた原告一郎に対し、「何で学校にけえへんのや。お前が来なんだら皆が迷惑するやろ。」などと言ったところ、原告一郎は、「そんなこと知らんわ。」と言って、再び二階に上がっていった。
(三) これに対し、被告乙山は、すぐに原告一郎を追って二階に上がり、二階の廊下で原告一郎を捕まえて、「今、何と言ったんや。もう一度言ってみろ。こら。」と言いながら、両手で原告一郎の顔面や頭部を殴ったり、手で原告一郎の身体や頭部をトイレのドアにぶつけたり、後ろから首を押さえて廊下の床に原告一郎の頭部を叩きつけたりし、挙げ句の果てに、原告一郎の首を手で絞めて「謝れ。謝れ。」と何度も言いながら、そのまま原告一郎の頭部を階段の手摺にぶつけたりした。原告一郎は、首を絞められつつも、「ごめんなさい。ごめんなさい。」と何度も謝ったが、被告乙山は、「心からちゃんと謝れ。」などと言いながら、なおも右のような激しい暴行を続けた。
(四) 右の様子を一階にいて聞いていた訴外甲野夏子(原告一郎の妹)は、原告太郎に対し、「二階に早く行って。行かなあかん。お兄ちゃんが殺されてしまう。」と言った。原告太郎は、被告乙山が教師であることを信頼して、「もう、やめるやろう。」と言ったが、右夏子は、「ちがう。ちがう。あの先生はきついんや。皆知ってる。早よう上に行かなあかん。お父さんの考えている先生と違う。」と言うので、原告太郎が二階の様子を窺ったところ、被告乙山の暴行は依然として続いている様子であったため、原告太郎もこれではいけないと思い、二階に上がっていったところ、被告乙山は、引き続き原告一郎の襟首を手で掴むなどしていた。そこで、原告太郎は原告一郎に対し、「早く謝れ。」と言ったところ、原告一郎は、苦しそうな声で「先生に首をつかまれているから謝れへん。」と言ったので、被告乙山は、原告一郎の首から手を離し、原告一郎が「ごめんなさい。」と謝り、これにより、やっと被告乙山の原告一郎に対する暴行が止んだ。
(五) 原告一郎は、翌日、首の後部や頭部に痛みを覚えたため、原告花子とともに訴外由良内科病院で診察を受けたところ、頚部捻挫で完治まで一週間を要すると診断され、その後、同年七月一九日まで一二回に亘り右病院に通院し治療を受けた。
(六) 被告乙山は、前記暴行のあった翌日である同年六月一五日、丙川中学校の藤善晴三校長、長田教諭及び蒲生教諭と一緒に原告らの自宅に謝罪に訪れたが、被告乙山は、心から謝罪をしなかった。また、被告乙山は、同月二三日にも、藤善校長、長田教諭及び森教諭と一緒に原告太郎の経営する店に訪れたが、その際、原告太郎が被告乙山に対し、「うちの子供に謝ってくれませんか。」と言ったにもかかわらず、被告乙山は謝罪しようとせず、長田教諭から謝罪するように言われて、被告乙山は、ようやくながら、しかし、座敷に座ったまま、「すまんなあ。また一緒にやろう。」などと言って、原告一郎の肩を叩いたのみで、真面目に謝罪する態度ではなかった。そして、謝罪に訪れた際の被告乙山の右のような誠意のない態度は、却って、原告一郎の不信感を助長することとなった。
3 その後の経過
(一) 原告一郎は、被告乙山から前記のような暴行を受けた結果、登校すると被告乙山から、また暴力を受けたり虐められたりするかもしれないとの恐怖感のため、殆ど登校しないようになった。そのような中で、長田教諭が毎朝原告らの自宅に原告一郎を迎えに来たが、それでも原告一郎は、登校を拒否し、同教諭と一緒に学校に一旦向かっても途中で同教諭から逃れるようにして帰宅したり、学校の校門前まで行っても「こわい。」と言って帰宅したりするようなことが続いた。
(二) 原告一郎は、被告乙山に会うことがないようにとの学校側の配慮のもと、別室において、一学期の期末テスト及び二学期の中間テストを受けたが、登校していないこともあって、その成績は悪かった。そして、原告一郎は、二学期の期末テスト及び三学期の期末テスト(なお、三学期には中間テストはない。)を受けることができなかった。
(三) 原告一郎は、平成四年四月、中学三年生に進級して、三年七組の所属となり、担任も被告乙山から中田教諭に変わったため、当初、はりきって登校したが、被告乙山が三年生の授業やクラス担任をしていることを知ると、またしても、前記(一)のような恐怖感に襲われて登校しなくなった。すると、今度は、担任の中田教諭が毎朝原告らの自宅に原告一郎を迎えに来てくれるようになったが、原告一郎は、同教諭と一緒に自宅を出ても、途中で逃げて帰宅してきたり、学校の校門までは行っても、いざ校内に入ろうとすると嫌がって帰宅したりするという状態が続いた。そのような中、学校側は、原告一郎が校門まで来た場合には出席の取扱をしたが、実際には、原告一郎は殆ど登校せず、その授業も受けられなかった。
原告一郎は、三年生時にも各テストを受けたが、欠席が続く中で、その成績は悪かった。
(四) 原告一郎は、かねてより大阪府立高校の化学科への進学を希望し、中学二年生から塾にも通っていたが、これまで述べてきたように、被告乙山の虐めや暴力によって登校できなくなり(なお、原告一郎は、中学一年生の時には、登校拒否をするようなことはなかった。)、授業も受けられず、学業成績も低下し、遂には右府立高校への進学を断念せざるを得なくなった。
(五) 原告一郎は、平成五年三月、丙川中学校を卒業し、同年四月、大阪市生野区勝山北所在の丁原情報コンピューター高等専修学校に入学したが、これは、原告一郎の志望からは遥かに遠いところのものであった。
(六) 原告一郎が登校拒否状態になってから、原告太郎は、原告一郎に対し、「乙山先生も謝ったし、学校に行くように。」と説得したが、原告一郎は、「あんなのは話にならん。友達同士でももっとちゃんと謝る。」と言ったり、「乙山先生は、校長先生に注意されたと言っているが、反省なんかしていない。」と言うなど、原告一郎の被告乙山に対する信頼感は一向に回復していないばかりか、逆に同人に対する恐怖感や憎悪感が益々募っていく状態であった。
それでも、原告太郎及び同花子は、毎日、原告一郎に対し、登校するように説得したが、その都度、原告一郎から家庭内暴力を受けるなどしたため、大いに悩まされた。原告一郎は、「二階の窓から飛び降りて死んでやる。」と泣き叫んだり、イライラが高じて理由もなく原告太郎や、原告花子、訴外甲野夏子に暴力を振るったりした。そうした中、原告花子は、毎日の苦しみに耐えかねて、「一郎を殺して私も死ぬ。」と漏らすなどしたが、その際には、原告太郎が、「お前ら二人が死んでも何にもならない。ただ死にするだけだ。」と慰めてやらなければならなかった。
原告太郎は、昼間はメッキ加工の仕事をし、夜間は活魚料理店「戊田」を営んでいたが、夜の家庭を大切にし、また、原告一郎の家庭内暴力を防ぐために、右「戊田」の休業を余儀なくされた。
4 被告らの責任
(一) 被告乙山の責任について
被告乙山の原告一郎に対する暴力等は、教育上必要な指導ないし懲戒の範囲を遥かに越え、学校教育法一一条の体罰禁止規定に違反する不法行為であることは明らかである。
したがって、被告乙山は、原告らに対し、民法七〇九条に基づき原告らが被った損害を賠償すべき責任を負う。
(二) 被告八尾市の責任について
被告八尾市は、原告らに対し、被告乙山の右不法行為について、国家賠償法一条一項に基づき、右不法行為によって原告らが被った損害を賠償すべき責任を負う。
5 原告らの損害
(一) 原告一郎の損害について
(1) 慰藉料 一〇〇〇万円
原告一郎は、被告乙山の暴行によって、頚部捻挫の傷害を負い、平成三年六月一五日から同年七月一九日までの間、訴外由良内科病院において、通院治療を受けた。
しかも、原告一郎は、被告乙山に対する恐怖感と学校教育に対する不信感から登校拒否状態に陥り、中学校生活の大半を奪われ、学業成績も著しく低下し、希望していた高校への進学も果たせず、春秋に富んだ人格形成期に肉体的にも精神的にも大きな打撃を受けたものであって、原告一郎の人生や人間としての成長に大きな影響を与えた精神的苦痛は、筆舌に尽くしがたいものがある。
原告一郎の右精神的苦痛を慰藉すべき金額は、一〇〇〇万円を下らない。
(2) 弁護士費用 一〇〇万円
原告一郎は、弁護士費用として、原告ら訴訟代理人弁護士に対し、請求金額の一割である一〇〇万円を支払うことを約した。
(3) 右合計 一一〇〇万円
(二) 原告太郎の損害について
(1) 府立高校の授業料等と丁原情報コンピューター高等専修学校の授業料等との差額 八六万九二〇〇円
原告一郎は、被告乙山の不法行為がなく、通常どおり丙川中学校に登校していれば、当然に府立高校に進学できた。ところが、被告乙山の不法行為によって登校できず、府立高校に入学するために必要な学力を養うことを阻害され、希望外の丁原情報コンピューター高等専修学校への進学を余儀なくされた。その結果、原告太郎は、右高等専修学校の平成五年度の入学金及び授業料の合計九二万五〇〇〇円と、府立高校の入学金及び授業料の合計五万五八〇〇円との差額相当額にあたる八六万九二〇〇円を余計に出捐させられることとなった。
これは、被告乙山の不法行為と相当因果関係のある損害である。
(2) 慰藉料 三〇〇万円
原告太郎は、原告一郎の父として、原告一郎が被告乙山からいわれのない暴力を受け、その結果、原告一郎が登校拒否状態となり家庭内暴力も続いたことによって、精神的に大いに悩み、家庭の絆の崩壊を阻止するために腐心し、家計を支える活魚料理店の営業も永きに亘って休止し、家族の団結を図らなければならなかった。
右により、原告太郎が受けた精神的苦痛を慰藉すべき金額は、三〇〇万円を下らない。
(3) 弁護士費用
原告太郎は、弁護士費用として、原告ら訴訟代理人弁護士に対し、請求金額の約一割である三八万円を支払うことを約した。
(4) 右合計 四二四万九二〇〇円
(三) 原告花子の損害
(1) 慰藉料
原告花子は、原告一郎の母として、原告一郎の登校拒否状態が続く中、毎日のように、登校するよう説得した際原告一郎から家庭内暴力を受け、大いに苦しみ悩まされ、ときには、原告一郎を殺して自分も自殺することを真剣に考えることもあった。このような状況における原告花子の苦しみは、言葉では表現できないほどのものであり、これが一年半の永きに亘り続いたものである。
原告花子の右精神的苦痛を慰謝すべき金額は、三〇〇万円を下らない。
(2) 弁護士費用
原告花子は、弁護士費用として、原告ら訴訟代理人弁護士に対し請求金額の一割である三〇万円を支払うことを約した。
(3) 右合計 三三〇万円
6 よって、被告らに対し、連帯して、原告一郎は一一〇〇万円、原告太郎は四二四万九二〇〇円、原告花子は三三〇万円、及びこれらに対する被告乙山の不法行為の日である平成三年六月一四日から各支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 同2の(一)の事実のうち、原告一郎が平成三年四月に丙川中学校二年五組に所属となったこと、その担任教師が被告乙山であったことは認め、その余は否認する。
原告一郎は、平成三年四月及び五月の休祝日の多い期間においても、合計七日間の欠席及び二回の遅刻をしており、そのうち、同年五月一四日から一六日までの三日間の連続欠席について、一日目は保護者から欠席する旨の連絡があったものの、二日目及び三日目はその連絡がなかったため、被告乙山は、原告らの自宅に家庭訪問をして、指導をしていたほどである。
(二) 同(二)の事実のうち、被告乙山が「皆が迷惑するやろ。」と言ったこと、原告一郎が「そんなこと知らんわ。」と言ったことは否認し、その余は概ね認める。
被告乙山は「皆が心配するやろ。」と言ったものであり、また、原告一郎の返答は「知るけー。」と吐き捨てるがごときものであった。
(三) 同(三)の事実のうち、被告乙山が原告一郎を追って階段を上がったこと、被告乙山が原告一郎に対し「今、何と言ったんや。もう一度言ってみろ。」、「謝れ。謝れ。」と言ったこと、原告一郎が被告乙山に対し「ごめんなさい。」と謝ったことは認め、その余は否認する。
被告乙山は、階段を上がる際に原告太郎の承諾を得ていた。そして、被告乙山は、原告一郎に対し、その胸襟を手で掴み、先程「知るけー。」と言ったことについて、「今の言葉に対して謝れ。」と強い口調で言った(それに対し、原告一郎は強く反発するのみであった。)が、原告らの主張するような内容の暴行は加えていない。
(四) 同(四)の事実のうち、原告太郎が二階に上がってきて原告一郎に対し「早く謝れ。」と言ったこと、原告一郎が「ごめんなさい。」と謝ったことは認め、その余は否認ないし不知。
原告太郎は原告一郎に対し、「お前の言ったことはあかんことや。早く謝れ。」と強く叱責したものであり、これに対し、原告一郎は「胸倉を掴まれているから謝れへん。」と言ったので、被告乙山が手を離したところ、原告一郎は「ごめんなさい。」と謝ったものであり、その際、原告太郎も、「息子がえらいこと言うてすいませんでした。」と謝った。
(五) 同(五)の事実は不知。
(六) 同(六)の事実のうち、原告ら主張の日時に原告ら主張の教職員らが謝罪に訪れたことは認め、その余は否認する。
なお、被告乙山らが原告太郎の経営する店に訪れた際、座敷に座っていた被告乙山は、丁度その背後に原告一郎が立ったので、向き直って立ち上がり、原告一郎に対し、「すまなかった。また一緒にやろう。」と誠意をもって謝罪した。
3(一) 同3の(一)の事実のうち、原告一郎が丙川中学校に登校しなくなったこと、長田教諭が毎朝原告らの自宅に原告一郎を迎えに行くようになったが原告一郎は登校を拒否するなどしたことは認め、その余は不知。
なお、平成三年六月一四日以降、被告乙山及び学校主任である蒲生教諭が再三にわたり原告らの自宅に家庭訪問をして原告一郎の登校拒否状態の改善に努めたが、同年七月ころ、原告らが被告乙山の家庭訪問を拒否してきたので、その後は蒲生教諭のみが家庭訪問をして原告一郎の登校を促してきたものである。
(二) 同(二)の事実は、概ね認める。
(三) 同(三)の事実のうち、原告一郎が平成四年四月に中学三年生に進級し三年七組となったこと、その担任が中田教諭となったこと、中田教諭が毎朝原告らの自宅に原告一郎を迎えに行くようになったが原告一郎は登校を拒否するなどしたことは認め、原告一郎が登校しなくなった理由は不知。
(四) 同(四)及び(五)の事実のうち、原告一郎が平成五年三月に丙川中学校を卒業し、その後丁原情報コンピューター高等専修学校に入学したことは認め、その余は否認する。
右高等専修学校への進学は、再三にわたる進路指導における話し合いの結果、原告らの意思により決定したものであり、また、その後、原告らにおいて、右学校における原告一郎の成績の向上を喜んでいた。なお、原告一郎と同程度の成績の生徒であっても、府立高校に進学している。
(五) 同(六)の事実は不知。
4 同4は争う。
5 同5は不知。
三 被告らの主張
1 原告一郎は、中学一年生の時の登校状況が欠席一二日間、遅刻四回及び早退一〇回、中学二年生の時の平成三年六月一四日までの登校状況が欠席一二日間及び遅刻三回であって、原告一郎は、本件事件の以前から、既にいわゆる不登校の傾向があったのであり、同日以降の不登校状態も、その延長線上のものとして位置づけられるべきものであって、被告乙山の行為との間には相当因果関係がないというべきである。
また、原告一郎の学業成績の低下は、右登校拒否の結果のみならず、原告一郎の右不登校傾向に必然的に伴う学習懈怠によるものであり、府立高校へ進学しなかったことについても、自己の成績に見合う府立高校への進学が可能であったにもかかわらず、原告らが別の府立高校への進学を希望し、これに固執した結果であって、いずれについても、被告乙山の行為との間には相当因果関係がないというべきである。
なお、右のような原告一郎の不登校の誘因としては、原告一郎の姉である訴外甲野春子が、平成元年の中学二年生時に欠席四四日、遅刻一回及び早退九回と、不登校状態に陥っていたことがあげられる。
2 また、原告太郎の請求する授業料等の差額、並びに原告太郎及び同花子の請求する各慰藉料については、右1で述べた原告一郎の登校拒否、成績低下、府立高校への不進学の原因に照らし、いずれも被告乙山の行為との間には相当因果関係がない。
第三 当裁判所の判断
一 まず、本件の経緯等についてみるに、当事者間に争いがない事実、並びに《証拠略》により認められる事実、並びに右のうち主要な点についての当裁判所の判断理由は、次のとおりである。
1 当事者
(一) 原告一郎は、平成二年四月に丙川中学校に入学し、平成五年三月に同校を卒業した者であり、平成三年六月一四日の本件事件当時、その二年五組に在籍していた。
(二) 原告太郎は原告一郎の父であり、原告花子は原告一郎の母である。
(三) 被告乙山は、平成三年四月に丙川中学校に赴任し、同年六月一四日の本件事件当時、理科の科目を担当していた教諭であり、かつ、右二年五組の担任であった。
(四) 被告八尾市は、公法上の法人であり、国家賠償法上にいう公共団体である。
2 本件事件に至るまでの経緯
(一) 原告一郎は、中学一年生の時、一年二組に所属し、その担任は訴外岩本トモ子教諭であった。中学一年生時の原告一郎の登校状況は、病気や身体の不調を理由とした欠席一二日間、遅刻四回及び早退一〇回であった。
(二) 原告一郎は、平成三年四月、中学二年生に進級し、二年五組に所属となった。原告一郎は、同年四月には、欠席一日及び遅刻一回をしたのみであったが、同年五月に入ったころから、担任教師である被告乙山の口調や生徒に対する態度等に個人的な反発感を抱き、登校して被告乙山に会いたくないなどと感じるようになって、登校意欲を失い、同年五月には、二日、一一日、一四日ないし一六日の合計五日間の欠席、及び二回の遅刻をしており、また、同年六月に入ってからも、右と同様の理由から、四日に欠席、五日に遅刻、六日に欠席をしたほか、一二日から一四日にかけて三日間連続で欠席した。
なお、原告らは、被告乙山は、原告一郎の場合のみ、身体の不調を理由に早退を申し出ても認めなかったり、授業中の質問に回答できないとずっと立たせたままにしたりするなど、学校生活上、他の生徒と比べて不当な差別的取扱をしてきており、このことが原告一郎の右のような不登校の原因である旨主張し、原告一郎の本人尋問の結果中にも一部右主張に沿う供述部分がある。しかし、例えば、早退の申出の点をとってみても、個々の申出の際における当該生徒の身体の状況その他の具体的事情が明らかでなく、単に一方ではこれを認めて他方ではこれを認めなかったといった外形的事実のみから直ちに、不当な差別的取扱があったということはできないところであって、右の点も含め原告一郎の場合にのみ不当な差別的取扱をしたことはない旨の被告乙山本人の供述に徴しても、原告一郎本人の右供述部分のみから原告らの右主張にかかる事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない以上、仮に原告一郎の主観的には不当な差別的取扱を受けていると感じていたとしても、客観的には被告乙山にそのような所為があったものということはできないから、原告らの右主張は理由がない。
3 本件事件前後の経緯
(一) 被告乙山は、前記三日間の連続欠席を受けて原告一郎の自宅に家庭訪問をすることとし、同月一四日午後七時過ぎころ、原告らの自宅を訪れた(なお、被告乙山は原告らに対し、その旨事前に連絡してはいなかった。)。
被告乙山は、玄関で「こんばんわ。」などと言って家人を呼び、一階の部屋でテレビを見ていた原告太郎が対応に出ると、同人に対し、原告一郎の担任教師である旨申し出た。原告太郎は、一緒にテレビを見ていた訴外甲野夏子からも被告乙山が原告一郎の担任教師であることを聞いて、被告乙山が原告一郎を訪ねてきたことを知り、二階の自室にいた原告一郎に対し、被告乙山が訪ねてきたことを知らせて、原告一郎を一階に呼び寄せた。
そして、被告乙山は、二階から降りてきた原告一郎に対し、欠席の理由について問いただすなどしたところ、原告一郎は当初黙ったままであったが、そのうち、「知るかあ。」ないし「知るけえ。」などと、これに反発するかのような発言をして、再び二階に上がっていった(なお、原告太郎は、先程の部屋にいて、二人のやりとりをテレビを見ながら見聞きしていた。)。
(二) 原告一郎の右発言を聞いた被告乙山は、すぐに原告一郎を追って二階に上がっていき、二階の廊下で原告一郎を捕まえ、「今、何と言ったんや。もう一度言ってみろ。」、「謝れ。」などと大声で言いながら、手で原告一郎の顔面を叩いたり、原告一郎の襟首を掴んで揺すったり、顔を上げさせるために原告一郎の額に手を当てて押し上げようとしたり、謝らせるために原告一郎の頭を手で押さえて下げさせようとしたり、原告一郎を背後の壁に押しつけたりするなどし。原告一郎は、当初謝ろうとせず、その後「ごめんなさい。」なとと言ったが、被告乙山は、「心からちゃんと謝れ。」などと言って、更に謝罪を求めた。
原告太郎は、しばらく、一階の部屋にいて引き続きテレビを見るなどしていたが、様子を窺うため二階に上がっていったところ、被告乙山は原告一郎の襟首を掴むなどしていた。原告太郎は、原告一郎に対し、「早く謝れ。」なとど言ったところ、原告一郎は、「先生に首をつかまれているから謝れへん。」などと言ったので、被告乙山は、原告一郎の襟首から手を離し、原告一郎は被告乙山に対し、「ごめんなさい。」と言って謝った(以下、右認定の被告乙山の原告一郎に対する暴行行為を「本件行為」という。)。その後、被告乙山は、午後七時半ころ、原告らの自宅から帰った。
(三) しばらくして、原告花子は、買い物から帰宅してきたが、原告太郎や訴外甲野夏子から事情を聴くと、八尾警察に電話をして事の次第を説明し、また、長田教諭宅にも電話をして事の次第を説明した(なお、原告花子は、藤善校長宅にも電話をしたが、不在のため連絡を取れなかった。)。原告太郎らは、二階の自室にいた原告一郎の様子を窺いにいき、大丈夫かなどと会話を交わしたが、その後、当日、それ以上に右の件に関して原告一郎との間で話がされることはなかった。
(四) 原告一郎は、翌日、首などに痛みを感じたため、朝九時ころ、原告花子に伴われて大阪市平野区加美東所在の訴外由良内科病院で受診し、頚部の痛み等を訴えた。担当医師の訴外由良正信が診察したところ、頚部に淡い赤紫色の変色部があったが、レントゲン撮影の結果、骨に異常は発見されず、右医師は、頚部捻挫で完治には約一週間を要するものと診断した。その後、原告一郎は、同月一七日から同年七月一九日までの間に合計九回、自主的に右病院に通院し、首の牽引等の治療を受けた。
(五) 被告乙山は、同年六月一四日に帰宅後の夜、藤善校長から電話連絡を受け、原告花子から抗議の電話があったことを知った。翌一五日、被告乙山は、藤善校長らに事情を説明して協議をした上、藤善校長、生徒指導担当の長田教諭及び学年主任の蒲生教諭とともに、原告太郎の経営する工場を謝罪のために訪れ、被告乙山は、原告太郎に対し、謝罪の意思を示した。また、同月二三日にも、被告乙山は、藤善校長、長田教諭及び森教諭とともに、原告太郎らの経営する寿司店を謝罪に訪れ、原告一郎及び同太郎に対し、謝罪の意思を示した。
(六) なお、原告らは、被告乙山の暴行内容について、前記(二)認定の限度にとどまるようなものではなく、手で原告一郎の頭部をトイレのドアにぶつけたり、後ろから首を押さえて階段の手摺や廊下の床に原告一郎の頭部を叩きつけたりする等の非常に激しいものであった旨主張し、原告一郎及び同太郎の各本人尋問の結果中にも右主張に沿う供述部分がある。
しかし、原告らの右供述部分は、本件行為当時、原告太郎が当初一階の部屋にいてこれを静観し、その後二階に上がった際にも被告乙山に対しその言動について詰問するなどの態度を示していないこと、原告太郎及び同花子は、(仮に診療時間外であったとしても)原告一郎を直ちに病院に連れていこうとするなどの緊急性のある態度を示していないこと、その他前記(二)ないし(四)認定の原告太郎の対応や原告一郎の傷害の内容及び程度に照らし、また、これを否定する被告乙山本人の供述に徴し、たやすく採用しがたく、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。
3 その後の経過
(一) 原告一郎は、本件事件後、殆ど登校しなくなった。長田教諭は、毎朝、原告らの自宅に原告一郎を迎えに行くなどしたが、原告一郎は登校を拒否し、また、一旦学校に向かっても途中で長田教諭から逃れて帰宅したりすることが続いた。
中学二年生時の原告一郎の登校状況は、一年間の合計で、授業日数二四一日中、欠席一八六日及び遅刻三回であった。
(二) そのような中で、原告一郎は、被告乙山に会うことがないようにとの学校側の措置で、別室において、中学二年生時の一学期期末テスト及び二学期中間テストを受けた。なお、原告一郎は、二学期期末テスト及び三学期期末テスト(三学期には中間テストはない。)は受けなかった。
(三) 原告一郎は、平成四年四月、三年生に進級し、三年七組の所属となり、クラス担任も被告乙山から中田教諭となったため、一旦は登校を再開したが、被告乙山が三年生のクラス担任ないし授業担当をしていることを知り、再び登校しなくなった。今度は、担任の中田教諭が毎朝、原告らの自宅に原告一郎を迎えに行くようになったが、原告一郎は、やはり登校途中で引き返したり、学校の校門までは行くが、いざ校内に入ろうとすると嫌がって帰宅するというようなことが続いた。
中学三年生時の原告一郎の登校状況は、学校の記録上、一年間の合計で、授業日数二二六日中、欠席一四五日、遅刻七回及び早退三三回で、八六日間出席したこととされているが、これは、学校側が教育上の配慮から原告一郎が校門まで来た場合には出席と取り扱うなどの措置をとったためであり、実際には、原告一郎は殆ど登校せず、授業も受けていなかった。
(四) 原告らは、かねてから原告一郎が大阪府立高校の工業科などへ進学することを希望していたが、学力等の観点から、それは困難であった。学校側は、原告一郎の成績でも進学可能な府立高校の普通科を紹介推薦するなどしたが、原告らは、普通科では将来の職業に大して役立たないとして、中学三年生時の担任の中田教諭及び原告花子らを交えた三者面談や進路指導を経て、結局、これを断念することとし、原告一郎は、平成五年三月に丙川中学校を卒業後、同年四月に大阪市生野区所在の丁原情報コンピューター高等専修学校に入学した。
二 右認定事実を前提に、被告らの責任について判断する。
1 被告乙山が公権力の行使にあたる公務員であること、その被告乙山が、その職務としての教育活動の一環である家庭訪問の際に、原告一郎に対して本件行為に及んで同人に傷害を負わせたことは、前記一認定のとおりである。
2 ところで、学校教育法一一条は、生徒等に対する懲戒について、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」旨規定して、教員の懲戒権について定めるとともに、体罰を禁止している。
そうしたところ、教員の生徒等に対する懲戒行為としての有形力の行使が、当然に同法の禁止する体罰に該当し、民法上の不法行為にも該当するかどうかはさておき、懲戒の方法としての有形力の行使は、その性質上、生徒等の権利侵害を伴いがちなものであることに加え、そのやり方如何によっては、往々にして当該生徒に屈辱感を与え、いたずらに反抗心を募らせ、所期の教育効果を挙げ得ない場合もあるので、教育的配慮に欠けるところがないよう、対象となる行為の軽重、当該生徒等の心身の発達状況、性格、普段の行状、懲戒を加えることによって本人が受ける影響等の諸般の事情を考慮の上、慎重に行うべきであり、教育上必要とされる限界を逸脱した懲戒は違法なものというべきであるが、当該有形力の行使が、生徒等の身体に傷害を生じさせるようなものである場合には、それ自体、同条一一条但書が禁止する違法な体罰であり、民法上の不法行為として評価されるものと解するのが相当である。
3 これを本件についてみるに、原告一郎が被告乙山の本件行為によって完治に約一週間を要する頚部捻挫の傷害を負ったことは、前記一認定のとおりであるから、被告乙山の本件行為が違法な体罰にあたることは明らかであり、また、本件当時、原告一郎に対する指導について、被告乙山が本件行為のごとき所為をもって臨まなければ教育的指導ができないような事情が存在したともいうことはできず、以上の事情に照らして考えると、被告乙山の本件行為は、その動機の如何を問わず、教育上の必要性を欠いた違法なものと解すべきである。
4 したがって、被告八尾市は、国家賠償法一条一項に基づき、被告乙山の本件行為によって原告らが被った損害を賠償すべき責任を負う。
5 しかし、被告乙山の責任については、一般に、公権力の行使にあたる公務員の職務行為に基づく損害については、国家賠償法上、国又は公共団体が賠償の責任を負い、職務の執行にあたった当該公務員は故意又は重大な過失があったときに国又は公共団体による求償権の行使を受けるという形で責任を負うことがあることは格別、個人として被害者に対し直接責任を負担するものではないと解するのが相当であるところ、前記のとおり、被告乙山の本件行為は、公権力の行使にあたる公務員の職務行為ということができるものであるから、被告乙山個人は、原告らに対し損害賠償責任を負うものではないというべきである。
三 続いて、原告らの損害について判断する。
1 原告一郎について
(一) 慰藉料
(1) 原告一郎は、家庭訪問のために訪れた担任教師の被告乙山から、自宅において、前記一認定のような暴行(すなわち、本件行為)を受けたものであって、これにより、原告一郎は少なからぬ精神的苦痛を受けたものと認めることができる。
(2) ところで、原告一郎は、被告乙山の本件行為が原因で被告乙山に対する恐怖心から不登校状態となって、その学業成績が低下し、その結果、希望していた府立高校化学科に進学することもできなくなった旨主張し、これらの事実によって原告一郎が被った精神的苦痛に対する慰藉料についても請求する。
(3) 確かに、本件では、被害者の立場にある者がクラス生徒、加害者の立場にある者が生徒の最も身近で日常的な教育指導を行い、かつ、その信頼を獲得すべき担任教師であり、しかも、本件行為が、被害者である生徒の自宅において、いわば保護者の面前を顧慮することなく行われたとの点と、原告一郎が本件行為後は、それまでの散発的な欠席とは類を異にする形でほぼ全面的な不登校を始めたとの経過をみれば、原告一郎の不登校が本件行為を一契機とすること自体は否定できないというべきである。そして、肝心の不登校の原因につき、原告一郎も、その本人尋問において、今後も、被告乙山から他の生徒との差別を受けたり、再度、暴行を受けることが危惧されたなど、被告乙山に対する不信と本件と同種行為の反復を恐れて登校できなかった旨を強調しているものである。
しかし、もともと、被告乙山は、丙川中学校に赴任して原告一郎のクラス担任となってから日も浅く、本件行為は、原告一郎の欠席が続いたことから、クラス担任としての責任上、家庭訪問を実施した際に突発的な原因で発生したものであって(これにつき、被告乙山に弁解の余地がないことは、前記のとおりである。)、それ以上に、原告一郎と被告乙山との根深い感情的葛藤が背景にあるものではないから、担任教師である被告乙山より、生徒である原告一郎に対し同種行為が反復されるということ自体容易に考えがたい。しかも、原告らの抗議により、本件行為は間もなく学校にも明らかとなり、これを受けて、被告乙山は、所属職員の監督者である藤善校長を初めとする同校の生徒指導担当教諭らに伴われて二度に亘り原告方等を訪れ、右校長ら同席の下で原告らに正式に謝罪したのみならず、学校当局としても、例えば、その後も、原告一郎だけを別室で定期試験を受けさせたり、三年生に進級時には他の担任となるようクラス替えを行い、さらには、その後にも、原告一郎の登校を促すため他の教諭が登校時に原告一郎の自宅に迎えに行くなどの取り組みをして、教育的指導を重ねてきたのであるから、原告一郎が指摘する不登校の原因は、全く主観的な危惧の域を出ないものというほかない。そして、前記のとおり、原告一郎と被告乙山の生徒と教師としての交わりも、本件行為時までわずか二か月半程度であることをも併せ考えれば、思春期に見られがちな生徒の教師に対する好悪の感情は別としても、本件行為により、その後二年弱もの間、殆ど学校生活を放擲するような真の阻害要因が形成されたとは到底考えがたい。これらの諸事情と、原告一郎には、それ以前から不登校の傾向があったこと、さらに、本件行為の内容及び程度等を総合考慮すれば、本件事件後の原告一郎の不登校状態については、従前からの被告乙山に対する原告一郎の感情的反発その他同人自身の個人的な感情ないし性格に出たものというべきであり、そうだとすれば、本件行為後の原告一郎の不登校状態について、これが全面的に被告乙山の本件行為によるものということはできない。また、高校への進学の点についても、前記一のとおり、府立高校への進学の断念及び丁原情報コンピューター高等専修学校への進学は、担任教師とも相談の上で最終的には原告らの意思で決定したことが認められる。
これらの事情を総合考慮すれば、原告らの前記(2)主張の事実について、被告乙山の本件行為との間に相当因果関係を肯認することはできないというべきであり、右相当因果関係の存在を前提とした原告一郎の右慰謝料請求は失当である。
(4) 右に述べたことを踏まえた上で、本件事件に至る経緯、本件行為の内容及び程度、本件事件の翌日以降、被告乙山は、原告らの自宅などに謝罪に訪れ、原告らに対し謝罪の意思を示していること、その他諸般の事情を考慮すると、被告乙山の本件行為によって原告一郎が被った右精神的苦痛を慰藉すべき金額としては、二〇万円が相当である。
(5) なお、訴外北村陽英の作成にかかる意見書によれば、同人は、右意見書の中で、青年期精神医学者としての観点から、本件事件以前における被告乙山の不適切な教育指導によって原告一郎は不登校気味となり、その後、本件事件によって原告一郎は完全な不登校状態に陥らざるを得なくなった旨、また、原告一郎らが被った被害の主たる原因は、本件行為を含め被告乙山の誤った教育姿勢及び生活指導上の誤った行動が契機となった旨、原告らの前記(2)の主張に沿う趣旨の意見を述べていることが認められる。
しかし、右意見書は、右訴外北村陽英自身が原告らに対し行った事情聽取の結果など、本件証拠以外の資料をもその判断の基礎としたものであり、その中には、いまだ本件全証拠によるも認定しがたい事実関係も含まれているのであって(例えば、右意見書では、被告乙山が本件事件に至るまでの普段の授業等において、正当な理由もなく原告一郎に対してのみ差別的な取扱をして、同人に差別感、屈辱感等を与えてきたことを前提としているが、右の事実を認定できないことは、前記一の2において説示したとおりである。)、そうだとすれば、右意見書の内容は、そのままには採用しがたく、したがって、前記結論を動かすものではない。
(二) 弁護士費用
原告一郎が、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の進行を委任したことは記録上明らかであり、事案の内容、右認定の損害額その他諸般の事情に照らし、被告乙山の本件行為による損害として被告八尾市に負担させるべき弁護士費用の額は、二万円をもって相当と認める。
2 原告太郎及び同花子について
(一) 原告太郎は、府立高校の入学金及び授業料と原告一郎の進学した丁原情報コンピューター高等専修学校の入学金及び授業料との差額を被告乙山の本件行為による損害として請求するが、前記1の(一)認定のとおり、原告一郎の府立高校への不進学及び丁原情報コンピューター高等専修学校への進学と被告乙山の本件行為との間には、相当因果関係を肯認しがたいのであるから、右相当因果関係の存在を前提とした原告太郎の右請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
(二) また、原告太郎及び同花子は、被告乙山の本件行為及びこれを原因とする原告一郎のその後の不登校状態等によって、自らも精神的苦痛を受けたとして、それぞれ慰藉料の支払を求めているが、被害者の父母らが自らもその精神的苦痛について慰藉料請求権を取得するのは、被害者の生命が害された場合(民法七一一条)か、又は生命を害された場合にも比肩しうべき苦痛を右父母らが受けた場合に限られると解すべきところ、被告乙山の本件行為の内容及び程度、本件行為とその後の原告一郎の不登校状態等との間に相当因果関係を肯認できないことなど、これまで認定、説示してきたところに照らし、本件は右のいずれの場合にも該当するとは認められないから、原告太郎及び同花子の右慰藉料請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がない。
四 結論
以上の次第で、原告らの本訴請求は、原告一郎が被告八尾市に対し二二万円及びこれに対する不法行為の日である平成三年六月一四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容することとし、その余は失当であるから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺安一 裁判官 小見山進 裁判官 寺本明広)